Pocket
LINEで送る

カタカムナ

カタカムナという言葉をご存知でしょうか。

カタカムナとは、上古代の約1万年以上も前に日本で栄えた高度な文明の名とされ、その時代に使われていたのが古代図象文字であるカタカムナ文字です。

カタカムナを世に知らしめたのは、物理学者であり電気技師であった楢崎皐月氏です。

楢崎氏とカタカムナとの出会いもとても興味深いのですが、長文になりますので割愛します。

ネットで〝カタカムナ〟〝楢崎皐月〟と検索すると色々出てきますので、ご興味をもたれた方は調べてみて下さい。

私はこちらの本でその経緯を知りました。

さて、なぜカタカムナの話をするのかとうと・・・

私は昔から夢をほとんど見ません。(正確には覚えていない)

夢は魂からのメッセージであるとブログでも何度か書いていますが、私ってメッセージ全然受取れてない?

いえいえ、魂からのメッセージは夢からだけではありません。

私は、お風呂の中やお掃除中によくメッセージを受取ります。

夢からメッセージを受取りたいと思った私は、2月初めに寝る前に自己暗示をして寝るようにしました。

「夢をハッキリと記憶する」という自己暗示です。

暗示をかけると不思議と夢を覚えているので、しばらく夢日記を付けていたのです。

一か月くらい続けましたが、夢の内容は不思議なものばかりで、解読不明。

お掃除中に受取る方が内容がわかりやすいと思い、暗示をやめると途端に夢を見なくなりました。

そして、3月。

瞑想教室に来られたHさんに「カタカムナってご存知ですか?」と聞かれたのです。

その時は、カタカムナという言葉は聞いたことがなく、その旨を伝えました。

Hさんとの会話の後、教室のあるスタジオから自宅へ戻る電車の中で、またしてもカタカムナという言葉に出会ったのです。

私はいつも本を持ち歩いています。

電車の中は当然いつも読書タイム。

その時読んでいたのは、私が勝手に師と呼んでいる人の一人である、獣医師・森井啓二さんの『君が代から神が代へ』でした。

その中に、カタカムナについての記載があったのです。

「さっきHさんが言っていたカタカムナだ・・・」と不思議な気持ちでした。

カタカムナに興味を持った私は、早速カタカムナ関連の本を購入。

今は、その謎めいた文字の面白さと思念読みにハマっています。

なんと、カタカムナ医学なるものを実践している医師も存在します。

カタカムナ・・・何かあるな〜と思っていた矢先、ふと、夢日記を書いていた手帳が目に止まったのです。

手帳を開き、夢日記初日の記述を読んで驚きました。

「万華鏡のような構図で、お経のような文字ばかりがぐるぐる回転」

こんなことを書いたことも全く覚えていなかったのですが、まさに、カタカムナのことだと思ったのです。

出会うべくしてカタカムナに出会ったのだと改めて思いました。

これは、カタカムナを勉強しなさいというメッセージだと解釈し、現在進行形です。

そして、今、どうしてカタカムナを勉強しなさいと言われたのか、その理由がわかったような気がしています。

それは、瞑想にカタカムナを取り入れるということ。

カタカムナを用いた診療を実践されている丸山修寛医師によると、カタカムナの第5首・6首・7首を唱えると、4次元空間ができるとのこと。

丸山医師は、実際に患者さんの前でこの3首を読み上げて診療されています。

読み上げる前に、自ら考案したカタカムナの文字を用いた構図が書かれた紙を患者さんの身体に貼ったりして、とてもユニークな診療なのです。

実際に病気が改善されているので何かの作用はあるのだと思います。

私は家で、暇があればこの3首を声を出して読み上げています。

4次元空間が形成されているかどうかは別として、手指のしびれを感じることはできます。

セラピーをする一方で、瞑想を広める伝道師になりたいという思いがあり瞑想会を主催していますが、その瞑想にカタカムナを取り入れてみようと検討中です。

体の浄化はデトックス、心の浄化は瞑想、であり、両方の浄化ができている人が心身ともに健康だと言えます。

ですが、瞑想を毎日の習慣にするには、まだまだハードルが高いように感じています。

どうすれば瞑想をもっと身近で簡単なものだと思ってもらえるのか常に考えてたところ、カタカムナという言葉を知り、瞑想とコラボすれば良いのではないかと思い付きました。

どのような形で取り入れるかは、まだ頭の中で模索中ですが、一日も早く実践できる日が来れば良いと思います。

日本語のエネルギー

カタカムナに関しては、色々な人が独自の見解で研究をされていて、どれも素晴らしいです。

現在、教育環境設定コンサルタントとして活躍されている松永暢史さんもその中の一人。

多数の著書の中に「カタカムナ音読法」というものがあります。

松永先生曰く、音読は全ての学問の基である日本語了解能力を高める。

日本語を一音一音切って読む事で日本語能力を高め、国語力がつく事で他の教科の理解力も高まるようです。

全くその通りだと私も思います。

以下、長いのですが、松永先生のカタカムナ音読法の記事を抜粋。

この音読法の特色は、日本語を一音一音切って読むところです。「や ま と う た は‥…」と一音一音切って読むところです。すると日本語が、これまでとは一味違った深みがあるものになり、意味が明瞭に伝わるようになります。同時に、日常でも日本語を耳で聴く能力が高まり、それまでよりもはるかに人の話がよく分かるようになります。

これは実は、私たちがふだん何気なく使っている日本語が、一音一音にニュワンスがあり、それが繋がって意味を表す言語だからなのです。「は な」「は ね」「ね こ」「た こ」みんな一音一音切って読むと、不思議とよく意味が通じる気がします。さらに、日本語の特徴の一つに助詞(て、に、を、は)と助動詞(れる、た、だ、ない)といった付属語の存在があります。これらはおおむね一音か二音でできていることが多いのですが、これらがしっかりと発声されて使われることで、意味の伝達が大きくなるのです。同時に本来の日本語の感性を取り戻すことができます。

また頭蓋内ではっきりとした音を響かせることによって、主として言語野を中心にして脳を活性化させます。つまり、アタマが良くなります。私の生徒たちに言わせれば、音読法をした後は、「話す前にあまり考えなくても、言葉を直感的に口に出せるようになった」そうで、どの子もそれ以前よりはるかに口達者になります。また話すことが明瞭でシャープになります。このためには、やや特殊な練習法が必要です。顎の形と唇の使い方を意識的にして、正確に発声する練習です。

最初は母音から、そしてそれができたら次は子音を、一つ一つ区切って読む練習をします。やったことがない人は最初は多少とまどいますが、やがてまるで自然に歩くことができるように全ての人ができるようになります。
次に、一音一音がランダムに出て来る古代語=カタカムナの音読練習をします。実はこのカタカムナは、上古から伝わると思われるもので、日本語の原音の一つと言えるものです。

さて、カタカムナを読んだ後、『古事記』や『万葉集』を音読すると、ほぼ意味が分かるまま音読できることが分るでしょう。そうして、『古今集』→『竹取物語』→『枕草子』→『源氏物語』→『方丈記』→『平家物語』→『徒然草』→『謡曲』→『奥の細道』→『日本永代蔵』→『南総里見八犬伝』→『にごりえ』→『舞姫』→と、現代まで、過去において後の世の人に最も良く音読されたと思われる古典中の古典の中から、その最も良く読まれた冒頭部分を了解音読して参りますと、これまで読み辛いと思っていた文章でも読めるようになっている自分に気づくはずです。本もスラスラ読めるようになって驚くはずです。

日本語の流れを声に出して古代から現代まで体験する。そうして、日本語がはっきりとよく分かり、また、自分でも使いこなせるようになる。言うなれば、日本語を「母国語」にすることができる。私は40年近くの教師体験から、「勉強ができる」「アタマがよい」は、ほとんど「日本語の了解能力が高い」ということに尽きると考えています。考えてみれば、授業も、教科書も、ノートも、試験も、面接も、みな日本語で行われています。もし日本語で良く了解できれば、あらゆる教科で成績が伸びるのです。だから、勉強ができるとは日本語の了解能力が高いこととほぼ比例していると言えるのです。
あらゆる学習の基となる日本語了解能力、そして日本人としてコミュニケーションするための日本語運用能力、これを全ての子どもたちに与えるのがこの音読法です。
私は、今、これほど子どもに与えることを優先すべき国語教育は他にないと思います。

日本人に生まれてきたこと

独学ですが、色々な本を読み思ったこと・・・

それは、世界には様々な言語がありますが、全てはカタカムナから発生しているのではないかということ。

真意は誰にもわかりませんが、それが真実だとすれば、日本語のルーツであるカタカムナが理解できる日本人に生まれてきたことは素晴らしい事だと思っています。

君が代には、いはおとなりて〜♪という歌詞があります。

「イはオとなる」は「あいうえお」→「あおうえい」なのです。

前出の「君が代から神が代へ」には、「あおうえい」という順序は宇宙の摂理に適ったものであり、地球の波動が大きく高まる時にはそれに従って言霊もこの順序に変化しなければならない、とあります。

私は、地球に住む人の霊性が高まれば、いずれ「あおうえい」と変化していくと思っています。

ですが、それはまだまだ先のこと。

私の記憶が正しければ、お釈迦様によるとそれは50〜60億年後だったような。

その頃は、地球人の霊性も高まり、物質主義の社会ではなくなっているのでしょうか。

その頃には「ゐ・ヰ・ゑ」のように使わなくなってしまった言葉も復活しているのでしょうか。

私は、宇宙からそれを見ることになるのですね(笑)

ところで、先日、近所の神社へ行った際、なんと君が代の岩を発見しました。

こんなところに、君が代岩があったなんて・・・

まさに、このタイミングで・・・